落人伝説

▲ 美濃田の渕
安徳天皇をはじめ女・子供は船で渡ったと思われる。
寿永4(1185)年、屋島の戦いに敗れた平国盛は安徳天皇を奉じ、百名を超える軍勢とともに戦線を離脱。志度から陸路を逃れ、山を越えて吉野川を渡り、祖谷山に入ったと伝えられています。逃走ルートの一つは足代山分の中屋集落から美濃田の渕、井内谷、祖谷に至ると考えられ、落人の足跡と見られる史跡や遺物が残っています。
足代山分の中屋の里には徳島県で唯一の貴船神社が祀られています。京都の貴船神社は延喜式にも登場する古社で、落人の一隊がその分霊をここに捧持したと考えられています。美濃田の渕は吉野川中流域の景勝地で、幅約100メートルの渕が2キロにわたり続いています。獅子岩、鯉釣岩、作造岩などの奇岩・怪岩が点在し、県の名勝・天然記念物に指定されています。落人らはここで船を調達し、安徳天皇をはじめ、女性と子供が吉野川を渡ったと言われています。

▲ 地福寺の赤旗
源氏の追求を恐れ、約800年の 間地福地の車櫃の底に眠って いた平家の赤旗。
落人らは坊の久保にある地福寺(持福寺)に逗留し、ここで傷を癒すとともに、戦死した国盛の父教盛の法要を行い、多くの戦死者の霊を弔ったとされています。地福寺には平家の赤旗が残されており、約800年後の昭和33年頃に発見されました。これと酷似した赤旗が東祖谷の阿佐本家にも所蔵されています。
地福寺を出た落人の一行は、日の丸峠を越えて深渕に入り、更に落合峠を越えて寿永4(1185)年の大晦日に祖谷の粟技渡に到着したと言われています。
山を越え、川を渡り、山中に逃げのび、存命を図った平家の落人たち。自然の中に点在する数々の史跡を訪ねれば、時をこえて遥か遠い歴史の光景が見えてきます。

▲ 地福地
落人がしばらく逗留して休息し、また、屋島で戦死した国盛の父教盛の法要を行ったと伝えられている。

▲ 鞍石安王神社
安王とは幼帝安徳天皇の平安をお祈りするために付けられた名称と伝えられている。

▲ 鞍懸石
平家の落人が休息の時、馬の鞍を置いた石と伝えられている。

▲ 貴船神社
京都の貴船神社から捧持してきた分霊を残したと言われている。





